いやっほう、マキ学長です
みなさんごきげんいかが
バイブスあがってるー?


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学長がドラ10で使っているメインキャラクターは、もちろんこの、エルフのマキさんなんですが

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じつはこのひと、プレイ開始当初は、いなかったんです。

ドラ10Wii U版をてにいれて、わたしが初めて作ったキャラクターはウェディ男性でした。

数日間ウェディ男でプレイしたわたし、なんと一週間も持たずにこのキャラを放棄してしまいます。

それはなぜだったかと思い起してみますと…
「男性になることができなかったから」と言えます。

今までのドラクエ作品をプレイしてきた歴戦女子ーズのみなさんなら、きっと「それ、わかる!」って方もおられるのではないでしょうか。

いままでのドラクエで勇者(主人公)といえば男だった、だからわたしは10でも迷うことなく男性キャラを選んだんですね。

おそらくは、自分のキャラクターへの感情移入度というか、憑依ぐあいというのは、人によってかなり差があるものと思います。

マキさんはですね、よくも悪くも、子どもの頃から感受性のカタマリであるせいか、ゲームのキャラクターにもそれはそれは強く乗り移ってしまう性質があります。
大好きなドラクエであれば、それはなおのこと。

プレイ開始数日で、わたしはウェディ男、というか、男として生きていくことに限界を感じました。

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違う、違う、
これ、わたしじゃない!

バーチャル世界でのこととはいえ、それはわたしが生まれて初めて体験したアイデンティティの混乱でした。

なぜだろう?
ドラクエ9までは男性主人公を操作しても、違和感なんてちぃとも感じなかった。
なぜ、10では男として生きられないのだろう?

答えはすぐにでました。
ひとえに、男性として他者と関わり合うことへの抵抗が、この居心地の悪さを生み出していました。

ドラゴンクエストがオンラインに進化したことで、主人公(わたし)は自分の物語を進めることだけではなく、周囲にいる他人との関わりをもたざるをえなくなりました。

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ドラ10は初めてのオンラインゲームでしたが、そのこと自体には、今思えばそれほど抵抗はありませんでした。

だけど、男性として誰かと会い、誰かと言葉を交わし、誰かとともに戦う……それはわたしにとってものすごく余計なエネルギーを要することであり、なんかもうゲームを楽しんでるっていう感覚すら失われるような、おそろしく居心地の悪い時間でした。

いったん、「この姿、なんだか、イヤだな」と思うと、あとからあとから色んなことが気になってきました。
ウェディの猫背だとか、両手を大きく振るような歩き方だとか、片肘をつく座り方だとか、いろんなお行儀のよくない男性設定も、わたしはだんだんしんどくなってきました。

「わたし、こんなこと、しないもん…」
しだいにそういう思いが強くなっていき、ウェディ男でいる自分が不可解なような、きらいなような、なんとも表現しがたいいらいらした気持ちになりました。

あ、もちろん、
ウェディがダメなんじゃないですよ。
ウェディ男はとてもかっこいいです。
だけどその中に自分が入ることが、どうしても気持ち悪かった。
このすがたで周囲と接することが、どうにもがまんができなかった。


ストーリーを結構進めてしまったので迷いましたが、けっきょくエルフの女の子を作り直して再スタートしました。
それが今のマキさんです。

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エル子キャラに変えてからは、実の自分を大きく上回るかわいらしさにもまじめっぽさにもわたくし大変満足して、その後は迷うことなく冒険を進められました。
ドレスアップや美容院も、そして仲間とのコミュニケーションも、自然にたのしめるようになりました。

その時思ったのは、
「性別って、自分ひとりでいるときにはあまり考えることがないけれど、社会との関わりが生まれた途端、強く自覚するものなのかもしれないなあ」ということでした。

他者との関わりのない次元においては、わたしの場合はですが、男勇者であることも、男の装備を着ることも、美しいお姫様を抱き上げることにも抵抗がなかった。
それがドラクエ10になったとたん、「そんなことできないよーっ!」へと激変したのですから。

キャラクターへの感情移入度合というのも、いつか別の記事でもっと深く研究したいなあと思っているところです。
今ちょっと考えているのは、自キャラへの感情移入度と、ゲーム内で人を好きになる性質、いわゆる「恋愛脳」の間には、もしかしたらちょっとした相関関係があるのではないかということです。
まだ研究がまとまっていないので、いつかの機会にブログに書きたいなと思っています。




さて、話が変わりますが、
大学時代の友人で、
「わたしはぜったい日本人ではない」と言い続けていた女の子がいました。

その子は同じバイトをしていた女の子。
色白の扁平な顔で東北の方言をしゃべる、どっからどーみても日本人でしたが、なんかしらんけど自分のことを「インド人だ」とずっと言い張っていました。

聞けば生物学的にも完全なる日本人なのですが、どういうわけか「わたしは自分が日本人だと思うと、気が狂いそうなの!わたしのいるべき場所は絶対にインドなの!」と言っていつも周囲をびびらせていました。

彼女は大学3年の夏休みに、念願のインドへ、自分のルーツを取り戻す旅に出ました。
デリーから入国し、ヒンドゥーの聖地バラナシでガンジス川に身を浸し、カルカッタの雑踏に呼吸のしやすさを感じた彼女は、その混沌の中に姿を消しました。

大学へ退学届けも出さず、バイトの店長に連絡することもないまま、彼女はもう二度と、日本に帰ってくることがなかったのです。

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彼女もまた、「日本人である自分」に、言い表しようのない気持ち悪さを感じていたのでしょうか。

バラナシのガンジス河岸は、火葬された人々の遺灰が撒かれることで有名なエリアです。
人々はさらにその中で身体を洗ったり、ゴミをすてたりもしています。
人間のありとあらゆる所業の終着点のようなその川は、想像を絶するようなものすごい臭いを放っているといいます。

人いきれと臭気のごった煮のような川のただ中で、ここがわたしの場所だ、紛れもない、これがわたしだ、そう言える場所を、きっと彼女は見つけたのでしょう。

心の性別や、心のふるさととしての国籍。
生まれつき自分にあたえられたそれらとの矛盾に苦しんでいる方がたというのが、世の中にはいますね。

その人たちは、もしかしたら、
わたしがウェディ男性として過ごした時間のような、「なんと言い表してよいかわからない、だけどとてつもなく耐え難い気持ち悪さ」を、長い長い間ずっと、味わい続けているのでしょうか。
むろん、わたしが体験した感情なんかよりもずっと根深く、ずっと複雑な問題をはらみながら。

ちょっとだけそんなことを思いました。
そしてそれは、とても苦しいことなんだろうな、と思いました。




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